
翌朝、明るくなってから、ボートを見て、皆改めてビックリ仰天。
大きな流木の上にデンと腰をすえている。夕方までは動けないというので、
それぞれ勝手な自由時間を持つことにする。
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我が身の保障は 断固たる自己主張で |
ハイコとMは再び上流へと向かう。私はモニカと残って潜ったり、船頭に手伝ってもらって引網を引いて魚を採ったり、写真を撮ったり、洗たくしたりと、楽しい一日だった。 洗たくといえば、湿度が高いのでなかなか乾かない。ボートの中に吊るしていてもあまり乾かない。そんな状態なので、洗ったシャツやズボンは何日もジットリとぬれたまま。ジクジクして気持ち悪いこときわまりない。ニューギニア滞在は、ぬれた衣服の感触がつきまとう。 「洗たく物は太陽の直射日光の当たる所へ出さないと乾かないよ。日陰では何日干しても同じこと」とハイコに笑われた。これもまた初めての経験であった。 夕方になりようやく潮が満ちてきた。今だとばかりに、皆力を合わせてボートを押すが、テコのような丸太もないし、どうにも流木から離脱できない。皆ヘトヘトになってあきらめかけた時、ふと、一つの手だてを思いついた。それは、私が昔、親父から仕事で教えられた方法で、重いものを動かす時には、揺りカゴのように揺らしながら惰力をつけて動かすとよい、というものだ。 |
![]() ■この区域には水草も多い |
![]() ■水上氏とモニカが網を引く |
これが見事に成功して、ボートは流木から離脱。皆歓声をあげる。ようやく船は湾にでた。さあ、日も暮れてきた。一刻も早く島影の見える間に帰港しようと私たちは勇みたったが、どうしたことかボートは動かない。見るとハイコと船頭がモソモソ言い合っている。イライラしながら20分も待った頃、ハイコが「カミハータさん、今から全速でソーロンの港に帰るとしても4時間かかると船頭が言う。この島の後ろの方にスラワッティ(Salawati)という大きな無人島があり、そこへは6時間で行けそうなので、今からそこへ行こうと思う」と給うた。 |
冗談じゃない!6時間もかけてそんなところへ行って、それこそ湾を探して川を遡上しキャンプ地をみつけるまでに、10時間はゆうにかかるだろう。第一無燈火で南太平洋の荒波をつっ切ってそこまで行けるかどうかもおぼつかないのだ。自殺行為だと強く反対するが、ハイコは一歩も譲らない。しまいには「日本とニューギニアは近いかもしれないが、ドイツからだと遠くて大変なんだ、経費も随分とかかる。なんとかして行かせてくれ」とモニカを味方にして一歩も譲らない。私は、ここで譲歩したら命にかかわる、絶対にダメだ、ソーロンに帰ると断固主張し、最後には彼をしぶしぶ承知させた。しかし、お互い気まずさが残って誰もしゃべろうとしない。 そのうち、日はとっぷりと暮れ、無情にも月明かりもない。後にした島の陰がボンヤリ闇の中に浮かぶ。船にはコンパスも地図もないし、明かりといえば、私たちの持っている懐中電灯だけである。気のせいかもしれないが、暗闇の中でドスンドスン船に当たる波の音がヤケに強くなってきたような気がする。船頭の顔を懐中電灯で照らしてみるが、真っ黒な顔なので心配しているのか、平気な顔をしているのかサッパリわからぬ。 |
![]() ■レインボーは当地の定番!! |
ライオン、ピラニアに勝るは スーパーマン・ハイコ それに勝るは……
![]() ■ニューギニアはランでも有名だ |
約1時間も走っただろうか。突然大きくゆれるボートの屋根の上から、ハイコが例によって「カミハータさん」と呼びかけてきた。彼も心配で、大きくゆれるボートの屋根にかじりついて方向を見ていたらしい。遥か右手前方の波間に燈が一つ見えると言う。 「コンパスも地図もないし、まして無燈火だ。これ以上航行するのは、遭難の可能性大だ。今夜はあの火の方へ行きたい。誰かが住んでいるはずだから」 私は正直言って、ああ助かった、と胸をなでおろした。今回の旅行中、私にとって一番恐ろしかったのはこの暗闇の航行であった。今から考えると馬鹿みたいだが、その時は”同じ死ぬなら陸の上で死にたい。こんな暗い海なんてまっぴらごめんだ”と思ったものだ。 ”ほらみてみろ、ハイコに従ってスラワッティ島に向かっていたら、それこそ遭難だったぞ、ハイコさんよ”と溜飲が下がる思いであった。 |
波間に浮き沈みする一燈の明かりは、我々にとって後光がさしているような尊いものだった。約1時間かけて明りを目指して真っしぐらに航行する。近づくに従って火の数が増えてきた。20くらいは見える。小さな離島らしい。ようやく桟橋に接岸成功した。懐中電灯に照らされて、無数の小魚が集まってくる。中に紫の蛍光色を発するネオンの親方風の魚を発見、皆一斉に感嘆の声をあげた。ハイコに魚の名前を聞いたが、どうも彼は海水魚に自信がないらしい。 彼と二人でひとまず上陸し、村の様子を調べることになった。我々の後をゾロゾロ村人がついてくる。空地をみつけ、身振り手振りでここにテントを張らせてくれるよう頼んだが、手を横に振って拒絶する。どうもあんまり友好的でない。ちょっとやばい感じがする。二人で相談して、村でテントを張るのをやめて桟橋の最先端に張ることに決定した。 早速船に買えってテント設営にかかる。が、気のせいかどうも臭い。モニカが「ここは便所よ!」と大騒ぎ。彼女には。ワイゲオ島に入る手前で寄った島の共同便所のイメージが残っているらしい。しかし。そんなことも言っておれず、とにかくテントの設営にかかった。と、今度はハイコがなにやら大きな声をあげた。それも普段より数オクターブ高いキーキー声で大騒ぎしている。 |
![]() ■突然ジャングルの中から原住民の一団が。男性が子供を抱いている点に注目 |
![]() ■ジャイヤプラで出会った子供たち |
「ゴキブリだーゴキブリだー」。ビスケットの上にチーズを乗せて夕食の用意をしていたら、どこから来たのかゴキブリのデッカイのがチーズにかじりついていたらしい。ハイコいわく、「ライオンもピラニアも、人喰い人種だって私はちっとも恐くない。しかしゴキブリは別。見ただけで身震いしてくるんだ」 おかしいやら気の毒やら、思わす吹き出したが、本人は大まじめ。スーパーマン・ハイコにもやはりウィークポイントがあるんだなぁとうれしくなる。すると今度はMが騒ぎ出した。食べようとしたチーズの上にゴキブリが乗っかっていたのだ。 「社長、食べても大丈夫でしょうか?」。私が先に食べてやると彼も安心して手を出してきた。水は第1日めで懲りて、大切に水筒に3分の1ほど温存してあったので助かった。 翌朝空が白み出すと同時に出航。私たちの命を助けてくれた思いで多きこの島を”ゴキブリアイランド”と命名し、島を後にした。約3時間の航行の後、ソーロンに帰港、ホテルのレストランでMと二人、ビールとコーラで乾杯する。生きてるんだという実感がふつふつと湧いてきた。 |