text & phot/神畑重三 協力/神畑養魚(株)
+++ Vol.4 +++
「まさに前途多難・・・。」
これから半月ほど共に過ごす「英語が話せない通訳たち」を前に途方にくれる神畑探検隊。 今回の旅もまた困難なのものになろうとしていた・・・。 |
奇妙な風穴と夢のような花畑
■インディオのお姉ちゃんがわれわれのために木の実をつぶして作った紫色の天然ジュース ■アヤクチョからギアナ高地まで約4時間近いフライトの途中、検問場が2個所ある |
体格のいいインディオのお姉ちゃんがバケツに入れた木の実を棒で突付いて砕いている。中をのぞくと、紫色の液が泡だっている。われわれにもこのジュースを持ってきてくれたけれど、せっかく治った体調を崩したくないので、私は「ノーサンキュー」とお断りした。好奇心の強い安川は飲んでいたが、なかなかの味だったとか。
草原の飛行機でチャーター機を待つ間の兵士による検査はパスポート調べだけだが、ラファエロはピストルを正式に申告している。予定より30分遅れたチャーターした小型機がふんわりと赤土の滑走路に着陸した。パイロットは濃いサングラスをかけ、ジーンズを履いたアメリカン・スタイルのいなせなお兄ちゃんで、機に乗ってからラファエロと旧知の間柄であることがわかり、のべつまくなしにおしゃべりしたいたが、私は連日の疲れで居眠りしてしまった。
とつぜん、ラファエロに起こされた。フロントの前方を指差して、「テーブル・マウンテン」とわめている。テーブル・マウンテンのあるギアナ高原は遥か東の方で、アヤクチョに戻る航路の途中にそんなものがあるはずがないのに、何をとぼけた寝言をほざいているのかと思いながらも、座席から少し腰を浮かせて前方を見ると、塔のようにそびえ立つ岩山が操縦席の機長の頭越しに見えた。
「ウォーッ!」と思わず声を上げて、あわてて目をこすると、水晶のように切り立った岩の塔が目の前にそびえ立っているではないか。あわててカメラを取り出そうとする間に、岩の塔がぐんぐん目の前に近づいて、フロントガラスいっぱいの大きさに迫ってきた。機長が何か言いながら操縦席の横の風防の窓を押し上げた。と同時に、機内が轟音と突風い包まれ、前の席になんとか写真を撮ろうとあわてるが気が焦ってレンズを交換するゆとりもない。
■平原の中に突如として現れた水晶の塔のように聳え立つアウタナ山。標高1300m |
■絶壁の下には人の入ったことの無い小さな湖が… |
■機はぐんぐん岸壁に近づいていく。翼の先端とは5mほどか。岸壁に向う側まで通じた奇妙な風穴が |
■1000m下はジャングルだ。頂上の狭い大地はタンポポのような草花が咲き乱れていた。これぞまさに桃源郷。その上に機影がくっきり見える |
岩塔の根元付近の眼下に直径100mほどの紫色に光る小さな湖が見えた。あわててシャッターを切る。安川も必死でビデオカメラを回している。岩の塔が機の真横に接近して、赤黒く切り立った絶壁が手の届くくらいの所に見える。翼の先端との距離は7,8mほどしかない。岩塔通り抜ける一瞬、横腹に奇妙な風穴が見えた。あとで資料調べをしてわかったのだが、この風穴は高さ15m、幅25mもあるという。
ほっとしたのもつかの間、こんどは機が大きく旋回して、塔の周囲を回りはじめた。爆音がいちだんとすさまじく響いて、耳がつん裂ける。窓は押し上げたままで、今度はスピードを落として頂上から斜め下に下降するらしい。
機首を立て直したとき、機の4、5m真下の塔の頂上にタンポポのような黄色の食物が絨毯を敷き詰めたように一面にぎっしり生えた花畑が目に入った。この夢のような塔のてっぺんの光景は、浮世から遊離した桃源郷で、言葉ではとても表現できないほどの強烈なインパクトを受けた。200坪足らずの花畑だが、1枚の写真のように、私の心に深く焼きついた。数億年前から誰も足を踏み入れたことがなく、しかも、「この光景を見たものは数えるほどしかいない」という秘境を見たことで心が高ぶる。
機は頂上からスロットルを止めたような状態で斜めに急降下した。ぐぐーっと重力がかかって、胃が口から飛び出しそうになる。機がやっと水平飛行に戻った時、一同ぼうぜんとして誰一人として言葉も出なかった。
城塞のような岩の塔は、標高1300mのサバンナにそびえ立つアウタナという岩山であった。通常の飛行コースからは大きく外れていて、機長から「この飛行は違反になるので、人には絶対に言わないでくれ」と固く口止めされた。機長がこんなサービスをしてくれた理由は、5年ぶりになじみのラファエロに会ったための友情フライトだったらしい。
■アヤクチョ飛行場の待合室、壁にはヤノマミの少女の像がかけてある |
午後3時半にアヤクチョに着いた。昼に何も食べていなかったので、町の小さなレストランに行く。バンドが入っていて、男性歌手がにぎやかにサンバを歌っていたが、本場だけあってなかなかに聞かせる。店の外には数台の電動木馬が置かれて、子供づれの家族が楽しそうに遊んでいた。
この土地の女性はいずれも小柄だが、からだの線のアクセントが聞いた美人が揃っている。安川が「若いとき、こんな美人の多い国に滞在してたら、日本に変えるのが嫌になるやろうな」と奥方の耳に入ると角を出すような軽口を叩くが、ジャングル生活にも慣れて、心にゆとりが出てきたせいだろう。
ラファエロのストック場はアヤクチョのサバンナの中の狭い道から奥に入った場所にあった。面積は思いのほか広くて、向こう側が見えないほどだ。コンクリート池と素堀りの泥池ができている。出荷用のストック池は15cmの角材を木枠にして、その中にビニールを敷いて、エアレーションしただけの簡易池がいちばん多かった。その中にメチニスやデンキウナギなどの希少品種が大量にストックされていた。ここに集めた魚をカラカスに送って、体調を整えたあと、外国に輸出するのだそうだ。
そのあと、すっかり日が暮れた暗闇の中を走って検問所を通過し、途中の村で漁師を4人ピックアップして、さらに第二検問所を通過して、魚とりのためにオリノコ川の支流に入る。懐中電灯だけを頼りに綱引きしたが、LLサイズのコンコロールとアピストグラマなど思いもよらぬ数種の貴重な収穫があった。
ギアナ高地の上空を飛ぶ
■地図を見ながらの有視飛行 ■赤茶けた大地は金の採掘場。何千人という荒くれのガリンペイロと呼ばれる金堀人夫が働く。この地区は治安が極度に悪い |
飛行機の途中、天候がしだいに悪くなり、ほとんど雲の中を飛んでいる感じで、雲海を抜けて、青空がぽっかり目の前に開けてほっとするのも束の間、すぐまた雲の中にもぐり込んでしまう。気味悪いことおびただしい。給油のため途中で着陸すると、またもや軍警によるパスポート・チャックがあった。
機は徐々にギアナ高地の上空に差し掛かりつつあった。雲の切れ間にテーブル状の頂を持つ奇怪な山々がちらほら見えてきた。長年の夢が目前に迫って、胸がどきどきする。パイロットから「天候がよければカナイマに入る前にエンゼルフォールを回ってもいい。ただし、エキストラ・マネーを払ってくれればね」という申し出があった。もちろん同意する。乾期といえども、雨と霧に覆われてひとたび天候が崩れると、回復まで3,4日かかってしまうというし、タイミングをはずすとせっかくのチャンスを失うのだ。
ギアナ高地の中でもひときわ大きく、インディオたちから”悪魔の山”として恐れられているアウヤン・テプイ山が見えてきた。赤黒く、荒々しい岩が1,000mの絶壁となってそそり立っている。世界最長の落差を持つ”エンゼルフォール”も見えてきた。
■眼下の大地は、べったりと雲のじゅうたんの下 |
ギアナ高地はベネズエラ南部から東部にかけてまたがり、総面積は日本の約1.5倍ある。
その地域内にテーブル状の岩山が100ヶ所以上もあり、地図上ではいまも空白地帯が多く、最近ようやく人口衛星からの調査を始めたばかりだという。
ギアナ高地は17億年以上も前に誕生した地球最古の地質と言われているが、そうだとすると、海の中でようやく生命体が現れたころの話で、気の遠くなるような太古の地層ということになる。長い歳月の間に、風雨によって土壌が洗い流され、堅い岩板のみが侵食を免れて残ったのが現在の姿だという。頂上には深い亀裂があるが、平均して平らでテーブル状の形をしているので”テーブル・マウンテン”の名で知られている。
ギアナ高地の植物の種類は約4,000種で、これは日本の植物の全種類より数が多い。しかも、その75%は固有種である。海の孤島ガラパゴス島でも固有種は53%だから、この高地がいかに隔離され、生物が独自の進化を遂げてきたかがうかがいしれよう。切立った絶壁は麓と完全に遮断されており、生物の往来はまず不可能で、しかも上と下とでは極端に気温差があり、台地の気象条件に適合した生物のみが残ってきたのである。さらに驚かされることは、この現象が隣り合う山々ごとにまったく異なる植物を分布させていることだ。”陸のガラパゴス”と称される由縁であろう。
私がギアナ高地とエンゼルフォールに特別な関心と興味を抱いたのは、先年テレビの特別番組を見て以来で、そのおり「こんな秘境が地球上にまだ残されているのか」と思わず息を呑むほどの大きな衝撃を受けたが、私はいまそこにいるのだ。
乾期のため、いまは滝の水量がさほど多くないというのが、それでも1,000m近い高さから物すごい水量の水がいっきに流れ落ちる光景は迫力満点だ。また、ここには滝につきものの滝つぼが見られない。落下距離が長すぎるため、下に落ちるまでに霧となって散ってしまうからだ。
アウヤン・テプイ山は標高約2,000mだが、このくらい高ければ下界のジャングルから植物の種子が飛んでくることは物理的に不可能だし、もちろん動物たちが登ってこれるばずもなく、ここで生命を育む動植物は下界とはまったく別の進化を遂げてきた。人類の歴史はわずか200万年しかないが、この台地は十数億年をかけてゆっくりと変化を遂げてきたのである。
台地には水とありあまるほどの太陽光があるが、何億年もの間、風雨にさらされた高地の岩場に生きる植物は、いったい何を栄養源として生存しつづけてきたのだろうか。信じられないことに、それはアフリカのさはら砂漠の砂塵によって補われているのだという。サハラの砂には植物の微粉末をはじめ、ラクダなどの動物の骨の粉塵などが混じるが、それには各種ミネラルの栄養分が存分に含まれており、大気圏上層の季節風に運ばれて大西洋を越えて5,000kmも離れたこの地まで飛んで台地の上に降り注ぐのだという。その分量がちょうどこの台地から雨とともに流出する養分の量と奇妙に一致するとのこと。まさしく人智を超越した壮大な大自然の営みが展開されている。