text & photo/神畑重三 協力/神畑養魚(株)
+++ イリアン・ジャヤ/3 Vol.6 +++
「人食人種(アスマット)とカンガルーが暮らすジャングル」
日本から「遠くて、そして遠い国」イリアンジャヤの魔境に日本人で初めて訪れる。いったいどんな冒険と出会いが待ち受けているのだろうか・・・。 |
カヌム族のマラリア予防法
しかし、例によって、あっちに寄ったり、こっちに寄ったり、出発かと思うと、「いまから昼飯だ」と言う。郷に入れば郷に従え、もう腹を立てないことにした。
湖までどのくらいの距離があるのか聞くと、「六十kmほどだが、二時間以上はかかる」と言われて、 「距離のわりに時間がかかりすぎる」と思ったが、気にもとめなかった。ジャングルの中の一本道を一時間ほど走ったところで車が小道へ入ると、 物凄い悪路になった。4WDだがローギアしか使えず、ぬかるみに入ると、車輪を取られそうになる。
荷台に乗っている現地スタッフがとつぜん「カンガルー!」と叫んで指さした。 その方向に目をやると、子供くらいの大きさのカンガルーが立ち止まってじっとこちらを見ている。どうやら好奇心の強い動物らしい。 原地民がいっせいに口笛をピーピーと吹くと、その音が気になるのか、引き寄せられるようにカンガルーがあちこちから飛び出して姿を見せた。
車はロデオの荒馬乗りみたいに上下左右に大揺れしながら、西へ西へと突き進んだ。この悪路が全長二十五kmもあるらしい。 一時間ほど走って、前方にやっと原地民の小屋が見えてきたとき、からだじゅうががたがたになっていた。帰りはきっと日が暮れた暗闇で、 再びこの悪路を引き返すのかと思うとぞっとする。
大湿地帯にはぎっしりとアシが生え、まるで大草原の様相を呈している。そして湖の中はアシを刈り取ってカヌーが通れるだけの水路が開かれ、 それが遥か彼方まで伸びている。十隻ほどのカヌーが浮かんでいたが、どれも一人か二人乗るのがやっとの小さなカヌーだ。
たまたま沖から戻ってきたカヌーが着いた。収穫の魚は真っ黒いナマズやゴビーの類で、いずれも四十cm以上あり、丸々と太っているので、 この湖に餌が豊富なことが安易に察しがつく。ジョンが「この黒ナマズは珍しい。これだけ黒いと観賞価値がある」といささか興奮ぎみだ。
「それ行け」と勢いづいて、てんでにカヌーに乗り移るが、幅が狭くて尻が入らない。無理して座ろうとすると、座ったら最後、 窮屈で尻が上げられず身動き一つできない。なにしろこの種のカヌーは、乗り手が立ったまま櫂を漕ぐので、座れるようにできていないのだ。 戦いのとき、即、敵と臨戦態勢が取れるようにできているのだ。若松が後ろから「吃水線まで十cmもありませんよ」とわめくが、 わかったところでどうにもならない。転覆しても命に別状はなさそうだが、カメラも使えなくなるし、濡れたら最後、 着替えのシャツもタオルも一枚もない。
後方でとつぜん「わぁー」という奇声が挙がった。振り返ると、若松の乗ったカヌーが転覆して彼がバチャバチャやっている。 ビデオカメラは防水バックに入れていたので助かったものの、やばそうなので私は引き返すことにした。悪路を乗り越えて、やっとここまで来て、 湖に入れないなんて、なんとしても残念だ。すると、勇敢にも若松が「私が行ってきます」と宣言して、原地民を一人連れてカヌーを漕いで彼方に消えた。
陽が傾いてきた。なんて見事な夕日なんだろうと、と感動しながらシャッターを押し続ける。湿原の向こう側はパプア・ニューギニアで、 この湖上に国境線が引かれているのだが、どこでもごろごろしている兵隊がさすがに辺境の湖畔には駐屯していない。
カヌム族という原地民が集まってきた。ポラロイドで写真を撮ってあげると、歓声を挙げて奪い合うように眺めている。 彼らの目の輝きはまるで子供のようだ。しかし、体臭の強烈さには悲鳴が出そうで、思わず顔をしかめてしまう。 「こんなに臭いと、蚊も寄りつかんのと違うか」と冗談を口にすると、ジョンが「あれが彼らのマラリア予防法だ」と言う。 「医者もいないし、薬もないスワンプ(湿地帯)で生き残るには、それなりの護身法が必要で、からだじゅうに豚の脂を塗りたくって、 一年に一度もそれを洗うことはないだろう」と説明してくれた。着替えがなかったこともあって、この独特の臭いが私のからだに二、三日 しみついたのには大いに閉口した。
素晴らしい大湿原の落日が終了して、あたりが真っ暗になったころ、若松のカヌーが戻ってきた。カヌーの中を見ると、 いろいろな種類の魚が袋に入れてある。「沖合いは広い湖で、水深は浅くて一mそこそこだけど、水底は腐食土で埋まり、 水中に入ると底なし沼のようにずるずる沈みそうだが、網を張ったら、すぐ魚がかかってきました。魚種は豊富です」と若松が説明してくれる。
この湖にはアロワナが多く、「二、三日前にきれいなグリーン色のアロワナがとれたらしいが、珍しい色なので、みんなで食べたと言っている」 とジョンが残念そうな口調でつぶやく。若松に「飛行機に乗り遅れて、むかっ腹を立てたけど、おかげでいい体験ができて、遅れてよかったのかもなあ」と言ったが、われながら身勝手さにあきれてしまう。
帰路は途中何度も車がぬかるみに入って動けなくなり、全員で後押ししながら、なんとか本通りに抜けることができた。
■秋のような爽やかさを感じさせるワメナ高原。この山脈の後方が秘境マンベラモ大湿原地帯である |
ペニスケースをつけたダニ族
前日と同じ失敗を繰り返さないよう、翌日は朝早くから空港待合室で待機した。ジャヤプラまで順調に飛んで、 午前十時にセンタニ空港に到着し、午後二時の便でワメナに飛ぶことになった。ワメナには過去二回チャレンジしているが、 二度とも天候不順で足を踏み入れることができなかった。まさしく因縁の地である。
■マッシュルームのようなダニ族の住居のあるソンパイマ村 |
アメリカの探検家リチャード・アーチボルドがこの高地の湖に水上機で着水して、この地に住むダニ族を発見したのが一九三八年である。 彼の手記には「この緑の楽園の地に住む部族は、男子がみな裸で、奇妙なペニスケースを着けている。彼らは鉄を持たず、石器時代のままだ。 彼らはキノコの形をした藁葺き屋根の家に住み、バリウム渓谷に沿って八万人ほどいる」と報じている。
ワメナという地名は、ワが“豚”で、メナが“飼う”という意味に由来している。豚は財産の単位で、 彼らは八千年も前からイモを作って生活してきたという。ギリシャ彫刻のような肉体を持つ狩猟民族のアスマット族と違って、 農耕民族のダニ族は総体的に小柄である。
ワメナに近づくと、さすがに気流が悪くなり、機体はガクンガクンとがぶり続ける。夜間、冷えた空気が気温の上昇とともに霧や雲となって、 野山を覆ってしまう。この気象が飛行機の着陸時の障害になっているのだ。上空から見るワメナは、意外に開けた感じで、 川には銀色に光る鉄骨の橋が見え、町並みも整然としている。
■オシャレな宝貝のネクタイは現代人のネクタイのルーツとも言われている |
空港にはアントンの友人が迎えに来ているはずだが、姿が見えない。われわれの到着が一日遅れたためだろう。空港のすぐ前がホテルで、 門前にはコテカ(ペニスケース)をつけたダニ族の男が裸で立っていて、思わずぎょっとさせられたが、にこにこ笑って、 いささか観光客ずれしている。しかし、現代と石器時代とが奇妙に交錯して、タイムスリップした気分になる。
ホテルは窓が小さく、部屋は暗い。蚊避けスプレーをベッドのしたにお見舞いすると、蚊がブ~ンと飛び出してきた。 ここは千七百mの高地だから蚊が少ないと聞いていたが、どうやら間違っていたらしい。飛行機が滑走路に止まっているわずかな間に、 機内に侵入した蚊に刺されてマラリアにかかる例もある。いわゆる“滑走路マラリア”という奴だ。だから一匹の蚊でも決して油断できない。 あらかじめ予防薬を服用しているものの、マラリアには何種類もあるので、決しては安心できない。
市場に出ると、裸のダニ族やほかの原地民が大勢集まって喧騒をきわめている。地面にサツマイモを並べたり、薪売りも多い。 薪は枯れ枝を束にしただけのものだ。夜が寒いので薪が必要なのだろうが、山から数十キロの道を肩に担いで運んでくるらしい。 イリヤン・ジャヤでの賃金は、町で働く一般職が月平均二千五百円、大学を出た役人や銀行員が月平均一万五千円だそうだが、 ダニ族の月収は千円もないのではなかろうか。貧しさは尋常でない。恐いもの知らずで異様な被写体を夢中でバシャバシャ撮りまくったが、 あとで聞いたら写真撮影のさいに彼らに金を払うのが決まりだそうだ。二十円か三十円のわずかな金だが、彼らにとっては重要な収入源らしい。 それに気づかずに気の毒なことをした。
■ダニ族の主食は芋(ワメナの市場にて) |