text & photo/神畑重三 協力/神畑養魚(株)
+++ イリアン・ジャヤ/3 Vol.3 +++
「人食人種(アスマット)とカンガルーが暮らすジャングル」
日本から「遠くて、そして遠い国」イリアンジャヤの魔境に日本人で初めて訪れる。いったいどんな冒険と出会いが待ち受けているのだろうか・・・。 |
市場にはカンガルーの首が
朝早くアガツへの出発の準備をしていると、ジェフリーが「アガツ行きの便がキャンセルになった」と知らせてきた。アガツまでの便は週2便だけだが、天候が回復すれば、あすにも飛ぶそうなので、神頼みして待つしかない。
もっとも前の年まではここからアガツに行く便はなかった。もしアガツに行こうと思えば、24時間かけてキャサリナ・コーストに沿ってアラフラ海の横波を受けながらボートで行く危険なコースをたどるしか手段がなかった。アガツは陸の孤島のような地であったが、長く閉鎖されていた草原滑走路が修理され、やっと小型機の離着陸が可能になったのだ。
■ニューギニアを代表するナガクビガメ。ちょっとグロテスクである |
■町の中にはパンの木が。でも食用にはならない。 |
アガツは1960年代の初めにアメリカの大富豪ロックフェラー・ジュニアが行方不明になった場所として知られている。当時、ワニに食われたという説もあったが、そのあとアスマットの酋長の家でメガネが発見され、それがロックフェラー・ジュニアの所持品ではないかと推定された。それまでにこの地に入った文明人はあとにも先にもキリスト教宣教師2人だけで、その2人もメガネをかけていなかったことが判明しているので、ジュニアはアスマットに食べられたのが真相らしいという現地での後日談がある。
この日はのんびり休養することにして、午前中はアンペラ市場におもむいた。市場は、どこの国でも活気があり、私は大好きだ。見たことのない珍しい果物や魚が並んでいる。ふと、肉の売り場の台上を見ると、つぶらな瞳をぱっちり開いたままのカンガルーの生首が2つ並んでいて、一瞬ぎょっとなった。かわいそうな気もするが、当地の人々には大切な蛋白源なのだろう。
そのあと、郊外にあるジェフリーの農場に行った。広々として、ゆうに1万坪はありそうだ。ココナッツの実を切り落とし、その果汁でのどをうるおし、コンニャクのような白い肉片をご馳走になったが、なかなかいける味だ。農場の隅にはカンガルー2匹と大型のワニが飼われていた。インドネシア語でワニは“ブアイヤー”と言うが、プレイボーイとか、腹黒い男という意味で、ここでもワニは好かれる存在ではない。
美しい落日を拝みに海岸に出てみると、砂漠のような砂浜に風紋ができている。霧のような小粒の砂が風に舞い上がり、音もなくさらさらと模様を変えていく。その様子はまことに優雅で、見飽きることがない。干潮時にはこの付近の海は水平線の彼方の沖合いまで干上がり、潮が満ちると内陸の100kmまで海になってしまうという壮絶さで、なるほどと実感させられた。
帰り路に町中にあるジェフリーのストック場に立ち寄った。イエローバンドのニューギニア・ダトニオやカルボ・ナンダスは当然としても、高値で日本に輸入されているスッポンモドキが50匹もストックされていたのには驚いた。
このスッポンモドキは草食性らしく、カンクンという野菜をエサとして与えていた。珍しいアルビノのカメが一匹いたので、ぜひ日本に送ってくれと依頼する。
■マーケットに並ぶカンガルーの首。現地の人々の重要な蛋白源である。つぶらな目が哀れだ |
インドネシア独特のコイン・マッサージ
空模様が気になって、朝早く目が覚めた。「きょうはなんとか飛んでくれますように」と天に向かって祈る。若松との朝の挨拶は「おはよう。どうや、あったか?大丈夫か?」という会話になっている。下痢と便秘が交互にやってくるからだ。ここ数日、私の胃の調子がよろしくなかったが、昨夜、当地独特のマッサージをしてもらったおかげで、朝方にはほとんど体調が戻っていた。
■アガツは1960年代ロックフェラーjr.が人食人種アスマットに食われた場所といわれている |
■前の建物がわれわれの宿泊先「アスマット・イン」。すべての建物、道路が水の上に作られている |
“クリック”と称するインドネシア独特のマッサージだが、コインを使うので“コイン・マッサージ”とも呼んでいる。皮膚にコインを当てて、一定方向に強くこすりあげて毛穴を広げ、そこに芳香性の強い油をすり込む療法だが、痛いけど効果は抜群だ。全身に刺青みたいに引っかいた跡が残るのが難点だが、体調が良くなれば、1日か2日でアザは消滅してしまう。
10時ころ「これから飛ぶぞ」という連絡が入って、勇躍して飛行場に向かった。 さて、いよいよアガツに出発だ。十人乗りの古いプロペラ機は、離陸と同時に右に大きく旋回して海岸沿いに北上する。途中、気流が悪くなって、機が上下左右に大きくがぶる。厚い雲に突っ込むと、とくに揺れが激しくなる。
予定された飛行時間はとっくに過ぎているが、厚い雲の中で下界は見えない。操縦席と客席との間に仕切りがないので、パイロットがぼろぼろの古ぼけた地図を膝の上に広げてさかんに定規で位置の測定をしている様子がいやでも丸見えで、見ていて不安になる。やがて雲の切れ目から川に沿った小さな町が見えてきた。アガツだ。
機は川沿いのイワー空港の草原の滑走路に無事に着陸した。大勢の現地民がどどっと集まってくる。素っ裸の子供たちも大勢いる。私はアマゾンでこの種の人たちと何度か接触したことがあるが、初めて体験する若松は異様な雰囲気に大きなカルチャーショックを受けている。
現地民でごったがえすなか、荷物をチェックしていると、「日本の方ですか」と驚いた顔の1人の日本人青年が懐かしそうに話しかけてきた。日本語が聞こえたので、びっくりしたらしい。測量関係の仕事で単身出張し、これからメラウケに帰るのだそうだ。
われわれが乗ってきたプロペラ機は十分もしないうちに早々と離陸して雲間に消えた。そそくさと逃げていった感があるほど素早かった。さて、これで文明社会と何日間か縁切りの日々を過ごすのかと思うと、ちょっぴり心細くなる。交通手段はボートと自分の足だけだし、こんな僻地で病気になったり、怪我でもしたら、それこそ一巻の終わりになりかねない。