
インターネットホームページ第一弾は、*ニューギニア・イリアンジャヤ!
神畑、ブレハ両氏のコンビが僻地に挑んだ。
前人未到のジャングルをかきわけ、川をカヌーで進む…。
いったい、彼らは何と出会い、そして何を見てきたのだろうか?
今月から6回にわたって掲載します。お楽しみに!
![]() |
いざ、イリアンジャヤへ |
この”いまだに知られざる土地”イリアン探検にドイツの友人の探検家ハイコ・ブレハ氏から誘いがかかった。「いまや世界中の至る所で地球規模の環境破壊が進み、そしてまた、時の政府の無責任で無定見な水産行政の結果、鯉やティラピアが川や湖に放流され、それらが異常繁殖したため、何百年あるいは何千年もかかってその土地だけにひっそりと生き続けてきた、珍しく可憐な魚たちがドンドン喰い荒らされ、絶滅が激しくなってきている。長い気の遠くなるような年月をかけてこの世に一つの種として固定してきた魚たちが、この地球上に存在したという痕跡すら残さず人知れず消え去ってしまうのは、あまりにも悲しいことである。せめて彼らの姿をフィルムに残してやることが我々の義務であり、責任ではないか」と。 |
![]() ■サメの腰骨で作った巨大な灰皿!! |
![]() ■なんとこのボートで未開の地へ乗り込むとは |
この目的のもとに集まったメンバーは、アマゾン探検の時と同じく、ハイコのアシスタントであるミス・モニカ(アメリカ人)、キョーリン社員の水上(以下M)。彼は”ターザン”のニックネームをつけられたタフガイである。 調査の期間は焼く半月ほどで、イリアンの北部の保護地区の離島の数々と、内陸部では小型飛行機をチャータして約6日間、主として3千m級の高地に点在する川や湖の調査である。(世界で唯一淡水のサメが群泳する湖もあるといわれ、フランスの水上機が一度ここも不時着して、サメの群を写真に収めている)。 |
我々の集合場所は、インドネシアのバリ島。Mと私は予定より一日早く現地に入り、ドイツからオーストラリア経由でやってくるハイコらを待った。ハイコが指定したホテルは、空港から約2時間もかかる、すこぶる不便な所にあった。彼らは夜の10時過ぎ、空港のレンタカーで到着した。 一緒に食事しながら、久しぶりの積もる話に花が咲き、例によってすこぶる簡単なスケジュール説明がある。「朝4時起床、4時半ホテル出発。飛行機は7時、時間はギリギリいっぱいだからくれぐれも送れないように」。 |
![]() ■上流に遡るためにはカヌーに乗り換えなければならない |
![]() ■ワイゲオ島の上陸許可を得るため立ち寄った小島にて |
その後「ところで、このホテルの裏山(1500mほどある)の中腹に噴火でできた湖が二つある。珍しい魚がいるかもしれない。今から魚を採りに行きたい。朝の出発までには必ず帰ってくるが、カミハータさん、行かないか?」 私ははじめ冗談かと思ったが、今からなんてとんでもないことだと断ると、それではとMを誘って、網と懐中電灯を持ってくるまで真っ暗な闇の中へ消えていった。彼がこの不便な所にあるホテルをあえて選んだ理由もここにあったわけである。 |
彼らがホテルに帰ってきたのは、翌朝あわただしい出発ギリギリの時刻であった。Mの説明によると、魚はほとんどティラピアが主体でめぼしいものはなかったが、中型のエビで、西表島コンジンテナガエビそっくりなものが多く、また、ロックシュリンプのような赤い線の入った非常に美しいものがいたそうである。 それにしても、オーストラリアから飛行機でやってきて、一睡もしないでホイホイと魚採りに出かける彼の底知れぬ体力にイササカあきれ果ててしまった。 |
![]() ■道なき道を珍魚を求めてジャングルへ(筆者) |
![]() |
期待と不安が入りまじるニューギニアの第一夜 |
翌日、バリ空港よりスワラジ島のウジュパンダン(Ujung Pandang)へ向けて約2時間半のフライト。その後、アンボン(Ambon)島を経て約8時間、待望のニューギニア北部のソーロン(Sorong)に着いた。 ソーロンの飛行場は、町からフェリーで1時間ほどの小島にある。以前は石油が出て栄えたことがあるが、今はそれも枯れ果て、殺伐としたゴーストタウンと化している。 島陰には、いまだ沈没した(多分日本軍と思われる)艦船の赤サビた残骸が数隻、波間から顔を出している。フェリーの中で乗客同士の殴り合いのけんがはじまる。人々の顔も殺伐としており、これはとんでもない所へ来たな、というのが、私のニューギニアの第一印象であった。 |
![]() ■熱帯のジャングルにパンの木はつきもの |
![]() ■ブレハ氏がぶら下げているのはパイプフィッシュ!? |
船着き場でハイコの友人のドクター・リーの出迎えを受け、町に一軒しかないというホテルに案内される。彼によると、これから我々の行く島は全部保護地区になるので、入島する場合は特別のビザ申請が必要であるという。 ホテルのロビーでは、英語もあまり通じない(長い間オランダ領であったためか)。日本に電話をしたいと頼んでも「わからない」という。 |
ドクター・リーがニューギニアは特にマラリアが多く、毎年死亡する人の数は”エイズ”の何倍もあるのだが、後進国にのみ被害が集中しているためか、あまりニュースで取り上げられない。もっと日本やドイツがこの問題に真剣に取り組んでくれればいいのだが……と嘆いていたのが印象に残っている。 もちろん、我々もマラリアの予防薬は事前に服用しているが、医者である彼にいわせると、マラリアにも数種のタイプがあり、その中でもあるものは強力で、感染すると死亡率は50%と高く、予防薬の効果も50%ほどで万能ではないとのこと。私たちもいまさらのように改めて気を引き締めた。 その夜、ボーイが部屋に入ってきて、あの懐かしいアースのような手押しスプレーでシュッシュッと蚊を殺虫してくれた。ニューギニアの第一夜は期待と不安が入りまじり、興奮してなかなか寝つかれなかった。 次号に続く… |
![]() ■網に入る魚は満潮時(各種汽水魚)と干湖時(レインボー系が中心)で種類が違う |
![]() ■合い間に水遊び、モニカ嬢の肢体が眩しい |
![]() ■水域で微妙にpHが異なり、その結果生息している魚種も当然変わってくる |
*イリアンジャヤ ニューギニアのイリアンジャヤでは、今日でもいまだ世の中に知られていない部族が突如としてジャングルから飛び出してくることがある。主要な高地民族や沿岸民族は確認されているが、沿岸と山脈部との間の広大な部分はいまだ密林におおわれたままである。1987年(わずか5年前)、未知の二つの部族がジャングルから現れた。そしてその内の一つの部族は再びジャングルの中に消えていった。もう一つの部族が初めての現代医学や鉄の”斧”などの現代社会に触れた。 この島の人口は推定で世界の人口のわずか0.01%にすぎない。しかし、この島で使われる言葉の数は、全世界の言語の15%を占めるのだ。また、南イリアンのキャサリーナーコースト(Casuarina coast)は、もっとも近づきにくい場所の一つで、首狩り族であり、人喰い族であるアスマット族(Asmat)が住んでいる。ここは、1961年ロック・フェラー2世が消えた場所としても有名である。この事件は世界中の新聞の見出しを賑わせ、彼の父、ニューヨーク州知事による大規模な捜索が行われた。彼がアスマットに喰われたかどうかは、今まだ論争の種になっている。 今日では、旅行者はもはやこの土地を恐れる必要はないが、いまだに”首狩り”という奇妙な風習が行われている--ドイツのカールミューラー著「イリアンジャヤ」より引用-- |