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KAMIHATA探検隊

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text & phot/神畑重三 協力/神畑養魚(株)

+++ Vol.1 +++

「まさに前途多難・・・。」

これから半月ほど共に過ごす「英語が話せない通訳たち」を前に途方にくれる神畑探検隊。

今回の旅もまた困難なのものになろうとしていた・・・。


前途多難・英語を話せない英語の通訳

夜のカスカス市内を機上から見ると、闇に浮かぶ巨大な光の島に見える。オレンジの光がこんもりと立体的に盛り上がって見えるのは、山の上までぎっちり建造物が広がっているせいだろう。機体を大きく揺らしながら、ジャンボ機が夜更けのカスカス空港にゆっくり着陸した。

空港での人影はさすがにまばらであった。今回のジャングル採魚旅行に同行する2人のベネズエラ人がわれわれ3人を出迎えてくれているはずなのに、姿が見えない。わが社のドイツの取引先から紹介してもらった面識のない人たちではあるが、あっちこっち探し回って、やっと見つけることができた。

1人はハンツという60歳すぎのドイツ系ベネズエラ人で、彼は以前、熱帯魚の輸出業にたずさわっていたが、交通事故で片目をなくして以来、商売をやめて、現役を引退しているという。英語ができるという条件で通訳をお願いしたのだが・・・。

もう1人はラファエロという45歳前後のずんぐりむっくりの腹が突き出た色の黒い抜け目なさそうなアラブ人ふうの男であった。この国きっての熱帯魚の第一人者で、魚については大ベテランという触れ込みである。

自己紹介を交わしてびっくりした。通訳のハンツはひどいドイツ語なまりの英語で、必死に単語を思い出そうとして、まるで受難者のような仕草で、両の手を握りしめ、顔をしかめて、たどたどしく口を開く。それを聞いていたら頭がくらくらしてきた。

ラファエロも見事なほど、からきし、まるきし、英語ができない。知っている単語は10にも満たないだろう。「とんでもないことになりそうだ」と安川と鈴木と私の3人が思わず顔を見合わしたが、いまさら代わりを探すことなど無理な相談だ。この2人と半月ほどの厳しい旅行をどうやって過ごすのかと思うと気が重くなった。

とりあえず予約を入れた空港近くのホテルへ行くことにしたが、5人分の大荷物に対して車が1台しか用意されていない。あまりの段取りの悪さに先が思いやられたが、文句を口にする元気すらなくなってしまう。派手なネオンが点滅する場末の飲み屋みたいな安ホテルにもあきれたが、いまさらじたばた足掻いてみても仕方ないので、万事成りゆきに任せるしかないと腹をくくった。

もう夜中の1時半である。長旅で心身共にぐったりだが、まだ寝るわけにはいかない。このあとガイアナ、ブラジルと旅を続けるので、ギアナ高地の荷物分を仕分けしておかなければならないからだ。出発は明朝6時だから、あまり寝る時間もない。

ホテルのフロアに若者が集まって、馬鹿でかい音でラテン音楽をかけ、踊りまくってギャアギャア騒いでいるし、うとうとしながら中途半端のままに、夜が白んでしまった。私は南米は3回目だが、同行の安川と鈴木にはジャングルの探険の経験がないので、第一夜からこんな調子ではさぞかし不安だろうと気がかりだ。

黄金の魚ドラドが昼食のフライに

激しいスコールのあと、岩山からはまるで蜘蛛の糸をかけたように無数の滝が流れ落ちる

■激しいスコールのあと、岩山からはまるで蜘蛛の糸をかけたように無数の滝が流れ落ちる

寝ぼけまなこをこすりながら、定刻に起床して20km離れたカスカス空港まで行き、そこから2時間飛んでプエルト・アヤクチョという密林のある町に到着した。町1番というホテルにチェックインしたが、ボーイがいないので自分の荷物は各自で担いで部屋に入る。窓は閉まらないし、蚊は入ってくるし、シャワーも水しか出ないというお粗末さだが、ジャングルの中だから、ないものねだりはできない。

食糧品は日本から調達してきたが、翌日から本格的にジャングルに入るので、とりあえずゴム・サンダルと水を仕入れに町へ出た。スチュワーデスも美人だったが、こんなジャングルの町なのに、なんと美人の多いことか。黒髪で、小柄で、プロポーション抜群のスペイン系美女がごろごろしている。ミス・ユニバースでの上位入賞者はこの国の女性が圧倒的に多いと聞いて、さもありなんとうなずいた。昨夜の寝不足が解消されたようだ。

密林の奥にあるサン・カルロス・デ・リオ・ネグロまで飛ぶチャーター機の機長と打ち合わせするため空港に足を運んだ。小型機で積載重量がオーバーしたら荷物を減らさないと飛んでくれないので、事前に制限重量を聞いて、全員の体重と荷物の総量を計っておく必要があるからだ。ハンツにそのことを説明するが、まるきし要領を得ないし、運悪く機長が不在で、帰ってくるまで待つことになった。やれやれ。

ラファエロがオリノコ川沿いに「ナマズ料理のおいしい店がある」と薦めてくれたので、昼食はそこに向かった。がたごと道を走る途中、猛烈なスコールに見舞われた。平原の中にお椀を伏せたような一枚岩の山があった。高さ2、300mはあろうかと思われる頂上から黒い岩壁をつたって雨が何本もの白滝となって流れ落ちる光景はとても珍しく美しかった。

ベネズエラとコロンビアの国境はオリノコ川の中央に引かれている。私が3年前に対岸のコロンビア領イニリダへ行ったとき、船頭がベネズエラ側を指さし、「彼らは石油がたくさん取れるので幸せだ。俺たちみたいに苦労して魚をとらなくても生活できるから羨ましい」と愚痴っていた言葉を思い出した。生活基準はベネズエラの方がかなり上らしく、国境近くのジャングルにはコロンビアから越してきた人たちの難民キャンプが点在している。

やっと到着したナマズ料理店はなんと閉店していた。やることなすことうまくいかず、今回の旅の前途を暗示するようでいっそう不安になってしまう。仕方なく再び空港レストランに引き返して遅い昼食で魚のフライを注文すると、出てきたのは黄金色のドラドであった。わが国では1尾何万円もする高級な観賞魚である。

アヤクチョからチャーター機でサンカルロス・デ・リオ・ネグロへ

■アヤクチョからチャーター機でサンカルロス・デ・リオ・ネグロへ

やっと機長が帰ってきた。英語ができるので交渉は早い。案の定、重量の検査は厳しかったが、全員の体重・荷物の総重量がなんとか制限内ギリギリに収まり、荷物を減らす必要もなく、第一関門突破にほっとした。しかし、チャーター機は例のごとくセピア色に変色した使い古しのポンコツであった。

幸いに天候がよく、揺れも少なく、2時間ほどでサン・カルロス・デ・リオ・ネグロの赤土の滑走路にガタゴトと音を立てながら着陸した。草っぱらに茅葺き小屋が1つあるだけだ。しばらくすると自動小銃を抱えた兵士がどこからともなくジープで現れた。パスポート調べと尋問であった。警備は非常に厳しい。ラファエロは兵士と一緒に車に乗って手続きに行く。

焼けつくような太陽の照り返しが茅葺き小屋の中までこもり、暑すぎて目がくらみそうだ。食欲は全然なく、水ばかりごくごく飲む。2組の白人夫婦がチャーター便の到着を待っていて、「自分たちはオーストリアからやってきて、ギアナ高地のネブリナから降りてきたばかりだ」と言う。彼らのからだから自然界の厳しい生活に堪えてきた者だけが放つ精悍な野生の香りがぷんぷん漂ってくる。

奥地に入るための8種の許可証

捕獲した魚を興味ありげに見つめる少女たち

■捕獲した魚を興味ありげに見つめる少女たち

少女と魚採りに出かける。衡法のボートはフランス人夫妻のもの。宿泊用のハンモックが吊ってある

■少女と魚採りに出かける。衡法のボートはフランス人夫妻のもの。宿泊用のハンモックが吊ってある

1時間ほどしてわれわれをネグロ川の船着場まで連れていくトラックがやってきたが、ラファエロの姿が見えない。船着場でさらに2時間待たされた。安川がしびれを切らして、丘に登って様子を見に向かう。

灼熱の太陽がじりじり照りつけるが、川べりだけに、風があって過ごしやすい。コーラ色の水の中にはテトラ系の魚が群泳している。退屈なので、水遊びをしていたインディオの子供たちに網を貸して、魚とりのヘルプを頼むと、「キャアキャア、ワアワア」騒ぎながら、夢中で手伝ってくれた。

しばらくして、ラファエロが川沿いの斜面を転がるように駈け降りてきた。小脇に書類カバンを抱えて、半袖のシャツが大きく破れて袖がぶら下がり、シャツからビール腹が大きくはみ出し、額の汗を二の腕でぬぐいながらふうふう息している。ちなみに、ラファエロは1日にビールを20本は飲むという。

「担当の役人がアヤクチョに出掛けて、2時にならないと帰ってこないんで、ガソリン使用の許可だけがまだ取れていないんだ」と報告する。石油産出国でガソリンの使用規制なんて、なんとも納得がいかない。3時ころようやく許可が取れ、ラファエロが船着場にあった空のドラム缶を足で転がしながら、ガソリンを買うため再び丘を登っていった。

ハンツが「チャーターした漁師とはここで落ち合うことになっているが、アヤクチョでボートに網を積んで何日も前に出発させているのに、まだ来てないので、ここで改めてボートと漁師を雇うことにする」と言う。相変わらずの頼りなさだ。

われわれのボートの横には似たような一隻のボートが横づけになり、それに乗っている人文学者だというフランス人が「スペイン語を話せる妻がいま軍部に交渉に行っているのだが、アヤクチョからここに来て5日間も待っているのに、上流への出発許可が取れていない」とぼやいている。「こんな場所で何日も待たされたら、それこそ今回の計画がめちゃくちゃになってしまうぞ」と思わずぎょっとなる。ラファエロの帰りがあまりにも遅いので、われわれも「やばいのでは」と本気で心配しはじめたころ、ラファエロは意気揚々油の入ったドラム缶を器用に転がし、鼻歌を歌いながら得意満面の顔で戻ってきた。フランス人には気の毒だが、幸運にもわれわれはライセンスのすべてを6時間で取れたことになる。それにしても、ラファエロはどんな交渉をしたのだろうか。わが社の会社案内を手にしていたことから推察すると、「この日本人はオリノコ川の熱帯魚を大量に買いつけにきた大切なお客だ」とかなんとか、熱弁を振るったのでは・・・。

必要な許可証は(1)アヤクチョ州政府の許可、(2)サン・カルロス・デ・リオ・ネグロ軍隊の許可、(3)港湾局の許可、(4)サン・カルロス・デ・リオ・ネグロ役所の許可、(5)カトリック教会の許可(何のためだろう?)、(6)魚類捕獲許可書、(7)ガソリン使用許可書、(8)ヤノマミ族の所へ行く許可、となんと8通りもあった。

警備の厳重さは、夜陰に紛れてコロンビアから密入国してくるコカインの売人たちを防ぐことがおもな目的らしい。実際、ここで警備している兵士の銃は、すべてコロンビア側に向けられている。私が隣国コロンビアのイニリダに行ったとき、街の隅々で兵隊が銃を抱えて警備に当たっていたが、こことは正反対に、銃口はすべて自国領のジャングルに潜むゲリラに向けられていた。ギアナ高地という地理的障害に加えて、ここは絶えず政治的紛争が起きる複雑な地域らしいのだ。

薄紫の夕闇が迫りくるオノリコ川

■薄紫の夕闇が迫りくるオノリコ川

日はだいぶ西に傾き、空の色が美しい紺色から薄紫色に変わりつつあった。ボートにやっとガソリンを入れたものの、こんどはエンジンがかからず、3人が交代で汗だくでスターターを引っ張っている。「こんな調子で本当に大丈夫なのだろうか」といらついているうち、30分ほどして気まぐれエンジンが唸りはじめた。

今夜はどこに泊まるのか、どこへ行くのか、皆目わからない。ハンツの英語力では短いコミュニケーションでも時間がかかるし、こちらも疲れてくるし、しんどくて話す気にもなれない。7時ころ、再びチェック・ポイントがあり、銃を片手に兵士が飛び出してきて、パスポートをはじめ、その他いっさいの書類の提出を求められたが、意外にすんなりと通してくれた。

出発してから、すでに3時間以上も走っている。日はすっかり落ち、周囲は漆黒の闇に塗りつぶされている。対向船がいないからいいものの、暗闇の中をライト設備のないボートが全速力で走るとは無謀としか言いようがない。

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