text & photo/神畑重三 協力/神畑養魚(株)
+++ Vol.2 +++
「仏の国の聖なる川(イラワジ)で新種を追う。」
仏の国ミャンマー。そこにある聖なる川と呼ばれるイラワジ川。神秘と新種に満ちたこの土地でいったいどんな魚に、人達に出会えるのだろうか・・・。 |
第二次世界大戦の激戦地マンダレー
夕食は川沿いの落ち着いたイギリス風レストランで取ることにした。大木の下にテーブルが置かれ、川面からひんやりとした風が吹き上げてくる。その柔らかなそよ風に吹かれて高い木の梢から枯れ葉がはらはらと音もなくテーブルの上に舞い落ちてくる。
話題はもっぱらミャンマーの観賞魚ビジネスの現状についてであった。この国にはまだ魚を観賞して楽しむ余裕も習慣もないが、それでも首都ヤンゴンにはペットの小売店が数軒あるという。この国独自の輸出できる珍しい魚はいるものの、地方からヤンゴンに集めてくる国内線の貨物運賃がべらぼうに高いことが障害になるという輸送上の問題が解決されれば、野生魚を海外に輸出できそうだという結論だった。また、観賞魚の養殖に関しての人々の関心は高く、今回もビラットがバンコックから繁殖用のディスカスの親をずいぶんと持ち込んでいた。
食事はまずまずだ。岡橋が卓上の小皿に入った山椒の粒のような緑色のチリ(唐辛子)に箸をつけようとしたので、危ないからやめるようあわてて注意した。辛いものに慣れっこの私でさえ、この緑色の小粒だけはどうにもいただけない。まさに爆弾だ。2~3粒も口の中に入れようものなら、「わぁー」と大声を挙げて走り回りたくなるほどの強烈な辛さだ。ちなみに、ミャンマーには「妊婦は唐辛子を食べない。食べると、生まれてくる赤ん坊の頭に毛が生えない」というタブーがあるとか。しかし、彼女はぱくぱく口に放り込み、おいしそうに食べて平気な顔をしているのでみながあきれた顔で彼女をみつめていた。
われわれの会話は英語が共通語として使われるが、国籍が違っても、中国系の彼ら同士の会話では、中国南部の福建語が使われるので、外語大学卒で中国標準語(北京語に近い言葉)に堪能な広江もお手上げだ。
■牛はこちらの人にとって家族の一員 |
■生活は貧しくても、人々の顔は明るく治安もよい |
翌朝の便でマンダレーに飛んだ。中型のジェット機は満席で、大半がヨーロッパ人で、なぜだかアメリカ人の姿は見えない。わずか15分間の短いフライトだった。
マンダレーは第二次世界大戦中に日本軍と連合軍との間で死闘が交された戦跡地で、そのときの両軍の戦没者の墓地が近郊にあり、戦中派の私には、格別に心の痛む場所だ。また人口50万のこの町はミャンマー第2の都市で、ビルマ王朝の最後の都でもあった。町の中心部では、王宮時代の瀟洒な建築様式のレンガ造りの建物がお濠沿いに1kmの長さで続き、昔の栄華をしのばせている。町の中を走る道路は、碁盤目のように整然と区画され、日本の京都のような古都のたたずまいをみせている。
道ゆく人は男も女もほとんど民族衣装の“ロンジー”を着用している。腰巻き式の筒状のスカートで、男性は前結び、女性は腰の部分で折り込んで止めている。脚部の蚊よけ、暑さよけ、手ぬぐい代わりにもなるし、非常に便利だという。しかし、活動に不向きな民族衣装の着用者が多いのは、この国では輸入衣料が高額なためで、それが便利な洋服の普及しにくい原因の1つだとタンさんが解説してくれた。
■行儀よく一列に並んで「ハイ、チーズ」 |
聖なる川で新種のダニオを発見
町の南のはずれのアマラプラのタマン湖で採魚する。水深は2mそこそこで、水は富栄養化して、どろりとした緑色だ。漁師を見つけて、手漕ぎの船で湖に出て網を引いたが、スネークヘッドを除けば、めぼしい魚は見つからない。
ウー・ペインという丸太で組んだ高さ10mくらいの橋があった。200年も昔にこの湖に架けられ、いまなお当時のままに使われている。向こう端がかすんで見えないほど長く、おそらく1km以上はあるだろう。橋の途中に何カ所かの休憩所があり、赤い袈裟がけのお坊さんをはじめ、いろんな人がつぎつぎに渡っていく。下から見上げると、湖を背景にした一幅の絵画のようで、興味深くて見飽きなることがない。まるでタイムスリップしたみたいな気分になる。
■200年も前から使われているウー・ペインの丸木橋。マンダレー、タマン湖 |
水族館に向かう途中、やたら検問所や料金所が多い。そのつど停車させられるので不便このうえない。しかし奇妙なことに、軍服姿の兵士の姿をほとんど見かけない。ほとんどがロンジーを巻いた一般人だ。ウォン中佐が「ミャンマーは軍政下だが、人口4500万人のこの国の軍隊はわずか2万人足らずで、国の財政がそれ以上の兵士を持つことを許さない」と言ってた。納得できる話だ。
水族館は一般の民家のような建物で、見るべき魚がほとんどいない。館長の説明では、この時期、この付近のイラワジ川にイルカが姿を見せるという。イラワジ川のこちら側は平野だが、対岸のシャン州は地質が違うのか、山々が連なり、緑の森の中に黄金色や銀色のパゴダが点々と光を受けて輝いている。
シャン州には石灰石を切り出す採石場があっちこっちにある。水質はイラワジ川と違って石灰分が高い。「メイミョーから流れるピンウールイン川はこちら側と水質がちがうので異なった魚が棲んでいて、ミャンマー固有の珍しい魚が見つかる可能性が高い」とビラットが説明すると、現金なものでみんながいっぺんに元気になって張り切った。
山道を2kmほど登ると、石灰石が屏風のように切り立つ大きな岩山が点在していて、砕石中のため、あたり一帯には粉塵がもうもうと立ちこめている。そんな悪条件下で働いている人のほとんどが女性である。この国では女性のほうが男性より強いみたいだ。
川の中に仏像を祀った廟が立っている小川にたどり着いた。ここは人々の生活水をとる神聖な水源らしく、何本かのパイプが川の中を這っている。そこから100mほど上がった谷川に水溜まりがあった。水は美しく澄んで、底には落ち葉がぎっちり重なっている。周囲は切り裂いたようなつるつるの岩場ばかりで、網引きのできそうな砂地はないが、褐色の落ち葉の上にちらほらと銀色の小型の魚が見えている。
■新種のダニオを発見 |
■新種のダニオを発見した川の中の廟。採水のパイプが無数にある |
水温は23℃と低く、広江が水質をチェックすると、pHは中性の7だが、石灰分があるせいか異常に硬度が高い。水中に入って網を引くと、落ち葉の下に隠れていたのか、驚くほどたくさんの銀色の魚がピチピチ躍って網にかかってきた。
岡橋が京都弁で「わぁー、きれいな魚がぎょうさん入ってはります」と嬌声を発する。ジミーがプラケースに入れて魚を観察すると、紫と緑の模様が入った新種のゼブラだ。ジミーが歓声を挙げて、こぶしを振り上げてガッツポーズを作る。広江が持参の図鑑を広げて照合すると、ブラキダニオ・シャンエンシスの新種とわかった。ジミーがシンガポールに持ち帰って、養殖するんだと張り切って袋詰めしていると、信心深いビラットから「ここは仏像が祀られた聖なる川、持ち帰りは5尾だけにしてくれ」とクレームをつけた。ジミーもボスの言うことなので、情けなさそうな顔でしぶしぶ残りの魚をリリースした。立ち去るとき、崇りがありませんように、と全員で手を合わせてお祈りをして、その場を離れる。
帰途、あたりに薄闇が迫ってきていたが、わずかな時間も惜しんで浅い谷川で魚とりをした。この谷川の魚についてはビラットからクレームが出なかったので、ジミーが持ち帰りの袋詰めに張り切っている。ダニオ、スネークヘッド、インディアン・スネーク、ローチなどで、みな満足して、もうすっかり暗くなった山道を下って帰りを急いだ。
翌朝、ホテルから日本に電話するのに1時間半以上も待たされ、インレー湖への出発が遅れ、いらいらする。われわれのホテルは5つ星の最高級ホテルだが、この国ではまだインフラが十分に整っていないので、電話回線が少ないのだ。タンさんが湖まで6時間かかるというが、私は「その倍の時間を覚悟したほうがいい」とわが社のスタッフに伝えた。
市内を抜けるとそこはもう枯草だらけのサバンナのような暑熱の乾燥地帯だ。道端には大きなサボテンが自生し、地平線の彼方まで見通せるような不毛の荒野が延々と続いている。この荒地をなんとか利用できないものか、と狭い国土に住む日本人の私はつい「もったいないなぁ」と考えてしまう。
4時間ほど走ったころ、前方にうっすらと靄のかかった大山脈が目に入ってきた。道幅は広いが、舗装されているのは一車線の幅だけで、対向車がくると、どちらかが路肩に降りて車をやり過ごす。そのつど速度を落とすので、わずらわしくて、予想外に時間がかかってしまうが、この国のドライバーのマナーの良さには感心する。道を譲ってもらった側が窓から指を一本突き出して相手の車に感謝のシグナルを送る。指2本の事もあるが1本が「サンキュー」で2本は「サンキュー・ベリマッチ」ということか。「所変われば品変わる」で、こんなことにもお国柄が出ておもしろい。
風景は両側に延々と水田の続く緑一色の田園地帯へと入った。途中、車を停めて水田横の小さな沼で網を引いた。水草は豊富で、クリプトやバリスネリアが美しい。魚種はバディス・バディス、クローキング・グラミー、ローチ、スネークヘッド、フライング・バルブなど、予想以上に多い。興味深かったのはレモン色のオレンジ・グラスフィッシュで、これまでお目にかかったことのない美しい新種であった。
網引きに夢中になっていると、物珍しそうに大勢の人々が集まってきて、にこにこ顔で人懐っこくわれわれを手伝ってくれる。その中に自転車にバッテリーをつけて電気ショックで魚をとる村人がいた。籠の中には感電させて収穫した小魚が山盛り入っていた。
車が山間部にさしかかった。崖っぷちをくねくね蛇行している道も一車線である。標高1000mを越えると、日射の強い熱帯地方といえ、さすがに風が寒くて、思わず窓を閉めてしまう。眼下に見える森林のところどころで自然発火による火災が発生しているらしく、赤い火がちょろちょろ蛇の舌のように見え隠れしている。道端の民家の庭先の物干し竿にビニール袋が数個ぶら下がっているのをよく見かけた。火災時の消火用の水だとのことだ。乾期は何ヶ月もの間、一滴の雨も降らないので、万一のときにはポリ袋のわずかな水ですら役に立つという。
■イラワジ川中流のマンダレーの漁村での水上生活のひとこま |
タンさんに「あと何時間かかるか」とたずねると、案の定「あと四時間でインレー湖につきます」と言う。その前に聞いたときと同じ答えだから、当てにできない。こちらだって気休めに聞いているだけだ。
アウンバンという小さな町に着いた。高地の寒冷地なので、お茶が栽培され、香りのいいお茶がただみたいな値段で売られていた。タンさんが相変わらず「さぁ、みなさん、ここからあと四時間、がんばりましょう」とみなを励ます。到着したのは夜の9時過ぎで、やはり丸々10時間かかった。