text & phot/神畑重三 協力/神畑養魚(株)
+++ Vol.1 +++
「サイクロン(熱帯低気圧)で荒れる海でダイブ」
"珊瑚礁のパラダイス"と喩えられるモーリシャス島の海。 だが一方でこの島は、サイクロン(熱帯低気圧)の銀座通りとも言われる島であった…。 |
サイクロン銀座のモーリシャス島
「運悪くモーリシャスにサイクロン(熱帯性低気圧)が近づいて、ウォ-ニング(警告)1が出ています。ウォ-ニング2になると、海がしけて船は出航できず、3では航空機が飛びません。ことしはサイクロンの当たり年で、先月は発電所が直撃されて大被害を受け、半月も停電が続きました」と出迎えのマークさんがいきなり物騒な話題を持ち出してきた。
シンガポールを夜の11時に出発して、インド洋の上空を17時間ほど飛行し、モーリシャス島のプレサンス空港に着いた時には時差の関係で現地時間は、真夜中の2時だった。ありがたいことに暗い空港の待合い室でわれわれの到着をマークさんが待ってくれていた。
東京都と同じくらいの面積しかないモーリシャス島の全人口は約100万人で、その3分の2がインド系の人たちである。だから、人工の半分以上がヒンズー教徒だという。公用語は英語だが、どうやら準公用語のフランス語のほうが優勢のようでもある。この島を訪れた目的は、近々当社で始める海水魚の輸入の調査のためだが、じつは "珊瑚礁のパラダイス" と喩えられるこの海に、私自身が一度潜ってみたかったからでもあった。
ホテルは島の最北端にあって、空港からけっこう距離があった。夜が明けると、ホテル周辺の様子がおぼろげにわかってきた。サイクロンの影響で相当に風が強い。海辺の樹木は高さが10m以上あるが、枝が細く、細長い形をした葉がばらばらついているだけで、柳に風とばかりに、風雨に耐えられる構造になっている。サイクロンの銀座通りに位置するこの島では、主力産物のサトウキビも極端に背丈の低い品種が栽培されている。
雲が切れて陽光が差し込むと、鉛色の鈍い光沢の海が一変して、きらきらと輝く淡いコバルト色へと変わっていく。海底が白砂のせいだろ思うが、息をのむようなみごとな色彩の変化にうっとりする。
■サイクロンが来襲すると、あたりの風景は 一変して猛々しくなってしまう |
■キラキラ輝きながら濃紺の海へと 変わっていくモーリシャスの海 |
モーリシャス島は、この島の西側に位置するマダガスカル島とは島の起源が根本的に違っている。マダガスカル島はアフリカ大陸から分離したのち、動植物の生態系が独自に展開されてきたのに比べて、モーリシャス島は海底火山が噴火して隆起した新しい火山島だから、島独自の動植物は少ない。原産の動物としては、飛べない大形の鳥ドゥードゥーが有名だが、その肉があまりにも美味であったことが災いして、初期の入植者によって食べ尽くされ、残念なことに現在は剥製が残されているのみだ。しかし嬉しいことに、美しいピンク色の鳩がまだこの島の特産としていまも残っている。総じて言えば、大半の動植物が雑多な外来種である。パンプルムース植物園の目玉になっているオオオニバスにしても、アマゾン産である。
■(左)見事なオオニバスだが、これは モーリシャス固有のものでなく、アマゾン産だ ■(右)いまなお見られるこの島固有のピンクの鳩 |
この島に来てとりわけ感心したことは、全島どこであれ治安がいいことだ。交通マナーもほかのアジア諸国と比較にならないほど秩序がある。温和な顔つきの人々が多いのはヒンズー教徒が多いからなのだろうか。
サイクロンの中でも決死のダイブ
滞在2日目、サイクロンの予報がウォ-ニング1から2に変更された。海は相当な荒れ模様だが、滞在日数が限られており、できればダイビングを決行したいと相談したところ、インド人ダイバーが「この程度の海ならなんとかなるだろう」とボートを出してくれることになった。参加者は私とわが社の水上、マークさん、それにインド人ダイバー3人の計6名である。私は20数年前に一応スキューバのライセンスを取得してはいるが、じつはボンベをつけて海外の海に潜るのは今回が初めてで、私も水上も新米もいいところなのだ。
ダイバーが早口の英語で器具の取扱いを説明してくれるが、風と波しぶきでほとんど聞き取れない。荒波が遠慮会釈なく頭からしぶきをかぶせてくるので、大急ぎで日本から持参したウェットスーツに着替えた。カメラの水漏れが心配だ。
30分ほどでボートが珊瑚礁の外に出ると、水深が急に深くなって、水の色が淡いブルーから濃紺に変わった。波は荒いが、透明度があるので、20mくらいの海底がよく見える。魚影も多い。
ボンベをつけて海中に入ったものの、潮の流れが予想外に早く、体が流されないようにボートの船べりにつかまっているだけで精いっぱいだ。「ちょっと、やばいぞ」と心配になる。先日パオラで起きた日本人ダイバーが潮に流されて死亡したニュースが脳裏を横切る。自分の年齢を考えると、この嵐の海を潜るのは危険すぎて、限界を超えている。私は即座に中止を決断した。そのことをボートマンに告げて、海中で装備を外そうとするが、潮流が強いため、背中のボンベがボートにゴツンゴツンと当たり、外すのに一苦労する。やっとの思いで船上に上げてもらったが、水上はまだ必死にボートにしがみついている。
「無理するなよ。波がおさまってから、もう一度トライしよう」と声をかけてやる。先に潜っていたダイバーたちがわれわれが潜ってこないので心配して様子見に浮上してきた。水上が意を決して「大丈夫、行ってきます」とダイバーたちに囲まれるように海面から消えていった。ボートが上下左右に大きく揺れ動く。船酔いしそうだ。船の残ったボートマンが真剣な目つきで海面を睨んでいる。海中から上昇してくる泡を観察してダイバーたちの所在地を的確につかむらしいが、私にはさっぱりわからない。
■いよいよシケの海へ出航だ | ■第1回目のトライ | ■第2回目のトライ |
30分ほど経過したころ、心配しながら海面を見つめている私の目の前に大きな気泡がブクブクと上がってきた。水上が美事に帰ってきたとわかってほっとする。水上が興奮ぎみに海底の素晴らしさを語る。それを聞くにつけて、よかったなぁと思う反面、悔しさがじわじわと込み上げてきた。