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KAMIHATA探検隊

カミハタ探検隊 in INDONESIA 「まだ見ぬ部族が潜む魔境(マンベラモ)を行く」
text & photo/神畑重三 協力/神畑養魚(株)

+++ イリアン・ジャヤ/2 Vol.8 +++

「まだ見ぬ部族が潜む魔境(マンボラモ)を行く」

日本から「遠くて、そして遠い国」イリアンジャヤの魔境に日本人で初めて訪れる。いったいどんな冒険と出会いが待ち受けているのだろうか・・・。


虹橋をくぐり抜けるヘリ

離陸を待ち兼ねていたヘリがただちに飛び立ち、急旋回しながら、あっというまにダボラをあとにした。われわれが2日間かけて探索した湖と川の間を低く縫うように飛んでいく。数しれぬ湖と川を含む果てしない樹海が続く。奥地探検のエキスパートのハイコが「こんなすごいジャングルは初めてだ」と興奮しきりだ。

高度が低いので、場所によって生えている木や植物の種類が微妙に違っているのがよくわかる。機はわれわれの指示に従って、湖の上を低く旋回したり、水面すれすれに高度を下げたりする。15年のキャリアを持つパイロットもこのルートは初めてと言う。眼下に広がる樹海はまさしく知られざる秘境である。

ある湖はアマゾンのネグロ川の水のように真っ黒に見え、そのすぐ近くの湖は綺麗なグリーンだ。紫紺色の湖、青緑の湖、透明な湖と、まさしく色とりどりで、信じられないほど美しい光景だ。ハイコが「色の異なる湖は、すべてpHも水質も異なり、湖ごとに異なった魚が生息している可能性を秘めていて、新種の宝庫だ」と解説する。からだじゅうを感動の嵐がどっと吹き抜けていく。

隙き間もなく生い茂った手つかずのバージン・ジャングル

■隙き間もなく生い茂った手つかずのバージン・ジャングル

天地創造の神が造ったのかと思われるほど美しい景観。向こうの湖と手前の湖は水質が異なるということは、それぞれの湖に変わった魚が生息する可能性が高い

■天地創造の神が造ったのかと思われるほど美しい景観。向こうの湖と手前の湖は水質が異なるということは、それぞれの湖に変わった魚が生息する可能性が高い

窓を開けてカメラを外に出して、夢中でシャッターを押す。熟練した庭師の手になるような幾何学的にレイアウトされた可憐な湖が見え、見たことのない黄色の水草で岸辺が埋め尽くされている。有史以来、誰も訪れたことのない湖。大自然は決して無秩序、無造作に創られたものではなく、そこには偉大な何かの摂理が働いているに違いないと思われるような神々しい風景で、私の一生の中で最も強烈なインパクトを受けた光景の一つでもあった。

とつぜん、眼下に虹が生じ、ヘリはその下をかいくぐるように飛んでいく。あまりの美しさに夢心地でシャッターを切るのも忘れてしまいそうだ。誰も何も言わない。言葉が出ないのだ。この素晴らしい景観が私の感動ごとそっくりうまくフィルムに収まりますようにと念じながら、シャッターを切り続けた。

前面に高い山脈が見えてきた。山腹には真っ白い霧が立ち込めたとたん、気流が悪くなった。機はまもなく乱気流に入り、がぶり始めたが、やがて真っ白な霧の中へもぐると、ローターの音がいままでとは違って「パタパタ」羽ばたくような音に変わった。牛乳瓶の中にどっぷりと浸ったみたいで気味悪い。何も見えなくなると、どっと恐怖心が湧いてきた。私はもともと高所恐怖症だったのだ。機があえぐようにやっと山脈を越えると、すぐそこには懐かしいセンタニ湖があった。無事に帰着できたのだ。

ホテルで久し振りの熱い紅茶とスープで疲れを癒した。体調は完全に復調し、レストランの食事も堪能した。近くのテーブルにメラウケという南西部国境線のすぐそばの辺境の町から帰ってきたばかりのカメを研究しているオーストリアの若い動物学者がいて、彼からさまざまな興味深い情報を得られた。メラウケはニューギニアの淡水魚のメッカで、サラトガやバラムンディがいることは知っていたが、ナガクビカメの棲む本拠地でもあるらしい。

夜になると、ハイコがまた国境線の近くの川に魚とりに出掛けるという。帰りが徹夜か明け方近くになるのは間違いないので、洗濯と休息のため、私は残留することにした。

宿に英語を話せる若いインドネシア人のヘリのエンジニアがいて、彼から「南西部は最も天候の悪い時期だから、ヘリで飛ぶのは難しいのではないか」という意見を聞き、また「ジャモア湖の近くのラカヒア湾という細長い入江にはジュゴンが住んでいる」という貴重な情報を得た。あとでハイコに確かめたら、事実だろうという。非常に面白い地域のようで、ジャモア湖に対していっそうの好奇心がむらむらと高まってくる。

ハイコが川で釘を踏み抜いて

明け方、戻ってきた水上から「ハイコが川の中で釘を踏み抜いて、足に3cm以上も入る大怪我をした」と知らされた。驚いて彼の部屋へ見舞いに行くと、大出血のため、うんうん唸っているが、「あすは予定どおりティミカへ出発するんだ」と頑迷士を発揮する。「薬を飲んだか」と聞くと、信じられないことに、医薬品は「絆創膏しか持っていない」とほざく。消毒薬もなく、水洗いしただけとは、あきれて物が言えない。抗生物質はアレルギー体質だから飲めないとのことで、私が持参した薬で消毒してやったが、傷は深い。

釘を踏み抜いて歩行不能になったハイコ。とうとう車椅子の世話に

■釘を踏み抜いて歩行不能になったハイコ。とうとう車椅子の世話に

未開地では、いつ何が起きても不思議ではなく、絶えず生命の危機にさらされているのだ。ハイコは一晩でだいぶ衰弱した感じで、翌朝は痛々しいほどやつれていた。そのうえ歩行が困難で、一本足でないと歩けないのだ。ジョンと再会を約して飛行場に行ってチェックインを済ませたが、われわれの搭乗機はいつ飛ぶのか相変わらずなんのアナウンスもない。

空港からわが社に電話して、久し振りに女子社員の明るい声を聞いて嬉しくなったが、彼女からソロン空港での墜落事故が日本のニュースで報道されたという情報を耳にした。この事故で不運にも日本人が2人亡くなられたそうで、われわれの出発があの日もし一日乗り遅れていたら、祈られる側になっていたかと思うと身の毛がよだった。事故を免れたのは単なる偶然ではないような気がして、お二人の冥福をお祈りして、何かのご加護を心から感謝した。

空港にはクーラーも扇風機もなく、ごった返した人間の人いきれで不快度が100パーセントに達している。夕刻になって、「きょうは飛行機が飛びません。あすまた来てください」という事務的な声のアナウンスが入ってきて、またもやどっと疲れが出てしまう。 「アフリカのある国では、カウンターで切符を制限なしに売るので、乗るときは早いもの勝で、腕力の強いものが有利だから、女性が乗るのはまず無理だ。命がけの喧嘩になるけど、それに比べればまだましだよ」と、ハイコはあっけらかんとしている。

今朝、別れを告げたジョンのホテルに逆戻りすると、ジョンがからだをくねらして、うれしそうに迎えてくれた。笑うときのジョンのくねくねはちょっとオカマっぽくて、気色が悪い。先日「誰かマッサージしてくれる人はいないか?」と私がたずねたら、「私でよかったら、うまいわよ」と、からだでしなを作った。ジンマシンが出そうになって、あわてて遠慮させてもらったが、なにかと気配りしてくれる親切な男(?)ではある。

翌朝10時、ようやく搭乗できることになった。百人乗りくらいの大型機である。頂上に雪を頂く、5000m級の高山を超え、1時間半ほどでティミカに着いた。ティミカはジャヤプラと正反対の南西部の海岸にあり、プマカ・ジャヤ山を越えた所にある小さな町で、ジャモア湖にヘリで行くのに最も便利な地点である。2年前にこの飛行場で乗り継いだとき、乗客全員が刑務所の囚人みたいに金網のゲージの中に入れられ、外からがちゃんと大きな鍵を掛けられたことがあった。そこが待合い室だった。

「この町にホテルがありますか」と係員に聞くと、「デダック(ノー)」と首を振る。しかし、すぐには鵜呑みにせず、ほかの人にたずねると、「一軒だけある」と言う。どうやら、あるらしい。ここでは同じことを3人に聞かないと正確ではない。嘘をついているのではなく、知らないのだ。私もこの国での要領がしだいにわかってきた。ホテルには刑務所の護送車まがいの車で向かった。ここは最近、近くの鉱山会社で金が発見されたため、景気がいいのだそうで、場所に似合わず、けっこうなホテルであった。

ハイコがさっそくヘリの手配をするが、案の定、天候が悪くてどこも飛んでくれない。しかし、その程度であきらめるハイコではない。ホテルのオーナーがこの国の副大統領という伝手を利用して、長文のFAXをジャカルタに打電して直訴した。ハイコの粘りは本当に凄い。翌朝、パイロットが鉱山会社からホテルに打ち合わせに来てくれることになり、ジャモア湖へ行けるかもしれないという希望が湧いてきた。

有史以来人間が入ったことのないジャングル。ヘリを水面近くまで降下させてとった光景
■有史以来人間が入ったことのないジャングル。ヘリを水面近くまで降下させてとった光景

メルパティ航空の事務員がティミカからジャカルタまでのフライトの予約ができないと言う。ここのホテルから日本に電話がかけられないので、町の電話局へ行き、長く待たされてやっとわが社に連絡できた。ここはインドネシアなのに、インドネシア航空の搭乗確認は日本からするほうが正確で早いのだ。何をするにもこの国では慣れるまでが大変だ。

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