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KAMIHATA探検隊

虎(ハリマオ)の住む密林を横断

text & photo/神畑重三 協力/神畑養魚(株)

+++ 東南アジア/5 Vol.3 +++
「虎(ハリマオ)の住む密林を横断」

今回の探索行はスマトラ島を南から北まで縦断。 スマトラは虎が名物で、いまでもジャングルに二百頭ほど生息していると言われているが、とくにジャンビ周辺に多く生息しているそうだ。
虎は“ハリマオ”と呼ばれ、マレーの人々に畏敬の念を持たれていると聞いて、若いころ口ずさんでいた『マライのハリマオー』という軍歌を思い出した。


淡水フグと戯れるひととき

ムシ川を川沿いに二時間走ったところにセカユ川という支流があって、その小村から上流のジャングルに上るための大型ボートがわれわれの乗船を待っていた。 上流に向かって約一時間ほど航行すると、ジャングルの中に三十軒ほどの小さな漁村があった。 漁師の家で昼飯をいただくことになり、川沿いの家まで20mほど丸太を浮かせただけの手すりも何もない歩みの上を渡っていくが、浮いた丸太がぐらぐら動くので、バランスを取るのが難しく、川の中に何度も落っこちそうになる。

ヤナを作って魚をとる漁師の住居。バレンパンのセカユ川のジャングル

■ヤナを作って魚をとる漁師の住居。バレンパンのセカユ川のジャングル

村をうろついていると、われわれが珍しいのか、どの家の窓からも頭を突き出して鈴なりになって眺めている。 その中に片言の英語を話す老人がいたので、私が「日本人がこの村に来たのは初めてか」と話しかけると、 彼は「二、三年前に、日本人の青年が自分の家に滞在していたことがある」と言うので、「何の目的で?」と聞くと、 「カヌーの漕ぎ方を勉強しにきた」という返事が戻ってきた。

 村の道路上で親子らしい二人の男性が竹簀を編んでいた。魚をとる道具らしく、 長さ2m、幅3cmほどの竹の面を削って、パームの紐で何メートルにも編んでいく。 私の親父が食用鯉の養殖をやっていて、この竹編みをよく手伝わされたことを懐かしく思い出した。

漁師の家の二階で総勢十名ほどが車座に座って昼食をご馳走になった。 川でとれた活きのいい海老や魚が山盛りされ、味つけも口に合う豪勢な料理だった。

小型ボートに乗り換えて二時間ほどかけて支流から上流に遡っていった。天候はかんばしくなく、間断なくにわか雨が襲ってくる。 水没ジャングルの中には茅葺きの一軒家がぽつりと点在していて、墨絵のように寂しげな風景をかもし出している。 粗末な茅葺き家ながら人の住む気配がある。隣人もいない水上の一軒家で彼らは何をして生活しているのだろうか。

ジャングルで見かける原住民は、申し合わせたように誰もが屈託のない顔をしている。 便利さや快適さを際限なく追及する文明人は、いろんなことを知らなければならず、そのため多くの物事を考え、ひしめき合って生活している。 それが人間にとって果たして本当に幸せなことだろうか。彼らの生活ぶりを見ていると、心の幸せと文明の進歩は次元の違う問題のように思えてならない。

小雨が煙るなか、二時間ほど航行して水上に浮かぶ廃屋に着いた。ここで小型ボートに乗り換えて、深いジャングルの支流に入っていくのだ。 アマゾンやボルネオの水没ジャングルは流れがなくて、ひっそり水をたたえているだけだが、 このあたりのジャングルの中はどこもかしこも恐ろしいほどの流速がある。褐色の水は、どこから来て、 どこに流れていくのか、見当がつかないほど樹木の間を縫って複雑に流れている。

迷路のような水路を抜けると、前方に細長い20mほどの長さの低い茅葺きが目に入ってきた。魚をとる梁の設備に似ている。 急流を竹で編んだ生簀箱の入口に導入して、魚が自然とその中に流れ込む仕掛けになっている。 生簀箱をのぞくと、魚の種類も数も豊富で、50cmもある黒い大ナマズを見受けた。どの仕掛けでも、だいたい同じような魚種であった。

淡水フグがわんさと入っていたのが意外で、大きいのは20cm以上もあり、叩いて怒らせると「ブー」とふくれて、 みるみるうちにフットボールほどの大きさになる。海水フグと違って、皮膚にはトゲがなく、少しざらついている。 みんなが面白がって叩いたり、お手玉にして遊んでいたが、誰かが「フグにも一服させてみようや」と口に煙草をくわえさせた。 そのフグのとぼけた表情がなんともユーモラスで、一同腹を抱えて笑い転げてしまった。フグはいつでもどこでも絵にしやすい魚だ。

水上の狭い小屋は家族で住んでいるらしく、老婆が竹でせっせと器用に籠を編んでいた。 どの顔も見かけは色が黒くていかついが、表情は穏やかで態度もすこぶる友好的である。 私の経験では世界中の熱帯奥地のジャングルに住む原住民は例外なく、親切だと言える。 問題を起こすのは、彼らと文明の接点に住む人たちである。

五時すぎに雨宿りした水上の無人小屋に帰り着き、大型ボートに乗り換えて帰路についた。 雨はすっかり上がり、ジャングルの落日に大パノラマが展開されている。やがて日が落ち、あたりが真っ暗闇になると、 こんどは稲光りが襲ってきた。不思議なことに、雷鳴も聞こえないのに、強力な写真のフラッシュをたいたかのように、 一瞬、闇の中で青白い風景がくっきり浮かび上がったり消えたりする。

漁師が水面を指さして騒いでいる。閃光のおかげで何かを見つけたらしい。ジョンが「パンガシウスが見えた」と言う。 この魚は体長が1.5m~2.2m、体重70~100kgはあるカイヤンの仲間の大型ナマズである。 九~十月になると夜間に浮上してくるが、昼間は水底に沈んで姿を見せない魚である。出発点の村へ戻って、車で二時間ほど走り、 パレンバン市内にたどり着いたのは十一時すぎだった。

レオパード・パッファー(淡水ふぐ)鈴木の顔より大きいのでは?

■レオパード・パッファー(淡水ふぐ)鈴木の顔より大きいのでは?

ワニの餌にする大蛇の千切りにたじろぐ

この島の北部にあるメダンへの移動日だが,飛行機の出発時間までジョンの義兄のカメのファームに案内してもらった。 従業員がせわしげに食用のカメを計量して香港行きの箱に詰めていたが、いい値段が付いているようだ。 タウナギもたくさん出荷されていた。薄暗いストック場には体長が1mもある大型スッポンやカメがいた。

 市内の大通りにある青空市場には数十軒のペットの露店が出ていた。なかには何軒かの立派な常設の小売店もあって、 この町にもペット(主として魚だが)の愛好者がいるらしいことがわかる。アロワナの好物の餌に生きたムカデが売られていて、 袋の中には10cm大の大型ムカデが数匹もぞもぞ動いていて、それを指でつまみ上げて見せてくれた。店には数種の餌が並んでいたが、 わが社の『ひかり』も陳列されていて、店主が品質も評判も一番だと親指を立てる。お世辞でも嬉しい。

ジョンの義兄は「友人が趣味でワニの養殖場をやっていて、普通の人は見学できないが、特別に見せてくれる」と言う。 往来の激しい通りから専用道路に入った場所で超大型のワニが養殖されていた。案内の少年が板切れを池の中に放り投げると、 餌と錯覚するのか、体長3m近いワニの群れが物凄い勢いで襲いかかっていく。ブロック壁の外にいても、 思わず後退りしてしまうほどすさまじい迫力だ。ワニは話を聞くほど攻撃的な動物ではないというイメージが私の頭にインプットされていて、 ニューギニアのマンベラモ水系の人類未踏の湖でもワニが飛び込んだ水音を聞きながら平気で水に入ったりしたが、 ここのワニを見て、そんな安易な考えがとてつもなく危険だと思い知らされた。ワニはやはり危険な動物である。

事務所の前で二人の男が何か細長い肉をさばいている。見ると、大蛇を千切りしている。 ワニの餌を作っているのだが、そのおぞましさを思い出すだけで食欲が減退してしまうほどで、この光景には強烈な印象を受けた。

飛行機は定刻に出発し、途中でパダンに立ち寄った。ここはバリサン山脈の東側のインド洋に面した小都市で、 高い山脈が背後にあって、いつも気象条件が悪く、パイロット泣かせの空港である。 出発を待つ間も周囲の山脈に雲がべったりとへばりつくように這っていて、さもありなんと思う。

夕刻、メダンに着いた。空港にはジョンの会社に魚を送っているシッパーが迎えに来ていた。 年齢は五十歳すぎだが、見た目がよぼよぼの感じで、おまけに迎えの4WDの車まで老齢で、これもよぼよぼだ。 車おたくの鈴木が「トヨタの初期の車で、珍しいほど古くて、骨董価値がありますよ」と解説する。 この車でアチャに行くらしいが、思わず「大丈夫かいな」と不安になる。メダンでのホテルは五つ星で、久し振りに満ち足りた気分になった。

ここでは外国人観光客の姿をちらほら見かけたが、スマトラ島に入ってから日本人の姿はただの一人も見かけない。 日本人が訪れる場所は観光地に限られているようだ。

マレーシア・ハコガメ。すべて食用としてホンコンに送られる

■マレーシア・ハコガメ。すべて食用としてホンコンに送られる

 

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